虚説捏造と検証回避は考古学界だけか――「藤村事件」と「羽入事件」にかんする状況論的、半ば知識社会学的な一問題提起(その1)
改訂版(数カ所につき論旨は変更せずに文章を推敲した他、注7[羽入の出身母胎(東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻)関係の責任問題にかんする所見]を大幅に改訂/増補しました。2004年5月30日記)
折原 浩
はじめに
この論稿は、羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作と「知的誠実性」の崩壊』(2002年、ミネルヴァ書房、以下羽入書)が「言論の公共空間」に登場して一定の反響を呼んだ経緯を、「羽入事件」として捉え返し、一方では同書の執筆動機とその構造的背景、他方では(片や大方のヴェーバー研究者による無視、片や一部「識者」や読者による絶賛といった)社会的対応、の両面にわたり、理解社会学的また知識社会学的な外在考察[1]を試みたものである。
管見によれば、「羽入事件」は、もっぱら「ヴェーバー学界」の内情に根ざす特異なスキャンダルでもなければ、どこにでもいる奇矯な人士がたまたま「ヴェーバー」に似せた藁人形を斬っていっとき観客も楽しませた、一過性の幕間狂言でもない。そうした側面がないわけではないが、それが本質ではない。むしろ、広く日本の学問文化・風土に根ざし、現代大衆社会とりわけ大衆教育社会に通有の構造的諸要因に規定された、類型的(典型的)な病理現象である。とすれば、今回の羽入事件が、拙評(「四疑似問題でひとり相撲」、東京大学経済学会編『季刊経済学論集』69巻1号、2003年4月、77-82ぺージ)/拙著(『ヴェーバー学のすすめ』、2003年11月、未来社、以下拙著)からこの「マックス・ヴェーバー/羽入−折原論争」コーナーに引き継がれた、羽入書そのものへの内在批判により、羽入が「知的誠実性」をもっては答えられずに論争を回避する実態が明るみに出て、一件落着するとしても、この事件の類例は、背後にある構造的諸要因が制御されないかぎり、いつなんどき、人をかえ、所をかえ、形をかえて、再現しないともかぎらないであろう。じつは、そうした予想が、ヴェーバー研究書としては一顧だに値しない羽入書に、(ヴェーバー研究の同僚諸氏や第三者には「常軌を逸した過剰反応」と映るにちがいない)破格に詳細な批判を加え、そこに顕れ出ている執筆動機に照射を当て、同書への社会的反響にも気を配ってきた理由のひとつでもある。そこで筆者は、羽入書への一連の内在批判と並行して、「羽入事件」に直接/間接に露呈された日本の学問文化・風土を問い、現代大衆教育社会の構造的諸要因も探り、「理解/知識社会学的」「外在考察」を重ね、この論稿をしたためて、いつでも発表できる態勢はととのえていた。通例に反して脱稿後ただちに公表しなかったのは、以下に述べるふたつの理由による。
まず、筆者は、橋本努が開設したこのコーナーの土俵に乗り、「マックス・ヴェーバー/羽入−折原論争」の一方の当事者という立場に身を置いた。したがって当面、「ヴェーバーは詐欺師か」「ヴェーバーは罪を犯したのか」という(羽入本人はともかく、橋本が再設定した、筆者個人としてはあまり面白くはない)争点をそのまま「価値自由」に引き受け、「第二ラウンド」の論戦に向けて、(同じく橋本の呼びかけに応じた)ヴェーバー研究者諸氏の寄稿とも対質しながら、この争点にかかわる内在批判の論点を、拙著への反響も含む刊行後の状況も踏まえて再構成し、つとめて平易明快に打ち出そうとつとめた。
先の拙著『ヴェーバー学のすすめ』第二章で、筆者は、つぎの課題を果たしたつもりである。すなわち、羽入が、「倫理」論文の主題ないし「全論証構造」の大筋に到達するはるか以前の「序の口」で、二三の論点に固執し(「木を見て森を見ず」)、しかも当の論点そのものについてさえ、原著者ヴェーバーの論旨/概念/方法を読み取れず(「木も見ず」)、それにもかかわらず、あるいはまさにそれゆえ、そういう自分の実態を正視せず、逆になんとしても原著者を引き倒そうとする「抽象的情熱」に駆られて「疑似問題」を持ち込み(あるいは、いっそう正確にいえば、原著者との懸隔を無理にも埋めようとする「抽象的情熱」から、自分の身の丈には合った「疑似問題」が創成され、これが「彼我混濁」の「主体」には原著者自身の「問題」と錯視され)、以後、もっぱらヴェーバーとは無縁の「疑似問題」をめぐり、無理と矛盾を厭わない(その点では確かに「世界初の」)恣意的な主張と裁断が繰り広げられている、という実態を暴露し、羽入の反証はいつでも可能なように、具体的な文献的証拠を添えて論証したのである。というのも、ブーメラン満載の羽入書には、「学問とは常に暴露の試みであるべきであり、事実の暴露、それも往々にして『不快な事実』……の暴露であるべき」であって、「学問的営為とは研究者にとっては、これまで自分を支えてくれた甘美な幻想をおのれの手で破壊していく作業のことなのであり、そして自分の幻想が次々と破壊されてゆくというこの心理的に苛酷なプロセスに極限まで耐え続け、にもかかわらず理想を捨てぬこと……なのである」(羽入書、6ぺージ)と謳われている。とすれば、研究者としての羽入には有害で、かれの「ヴェーバー研究」を「序の口」で低迷させている「疑似問題」幻想を、学問的な暴露と論証によって破砕し、羽入自身の「おのれの手で破壊していく作業」を介助することは、少なくともかれ自身の説く学問観に則ってことを運ぶことであるし、かれが「甘美な幻想」を捨てて現実の問題に取り組むのに役立ちこそすれ、かれが研究者であれば、暴露に耐えられずに理想(と呼ぶに値するものがあるとして)を捨てはしまいか、と気遣う必要もないはずだからである。
その後、筆者は、拙著への反響を可能なかぎり追尾していった。するとそこでは、上記「木を見て森を見ない」という批判は、よく理解され、首肯されるように見受けられた。ところが、「木も見ない」という批判、とくに、ルターが「(神から与えられた)使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ語Berufを創始した経緯にかかわる微細な論点に話がおよぶと、ややもすれば「専門的/文献学的にすぎる」として判断が停止され、むしろ「細かい点はともかく、あるいは、かりに四『問題』にかんする羽入の論難が誤りではないとしても、ヴェーバーを杜撰ないし詐欺師と断定するのは『行き過ぎ』あるいは『過当な一般化』である」という趣旨の穏当な評価にいきつく傾向が支配的と看守された。なるほど、この評価は、「専門家」を尊重して「素人」の不用意な断定は控える(「餅屋は餅屋」の)謙虚な知恵に根ざし、他方、「泥棒にも三分の理」を尋ね「喧嘩両成敗」を好んで日常の人間関係を円滑にしている、平衡感覚に富む日本の文化・風土に根ざし、そのかぎりで「通りがよい」であろう。老生も、この文化・風土を頭から否定するつもりはない。ところが、羽入書は、まさにその謙虚さにつけ込み、子細に検討すれば(非現実的/非歴史的な独断を前提とする)それこそ杜撰で冗漫な立論を、ただ外見上「緻密」に、自信たっぷりに披瀝し、読者を強引に「ヴェーバーは詐欺師」との極論に引きずり込んでいる。その独断で、ヴェーバー研究者にはことごとく「偶像崇拝者」のレッテルを貼り、みずからは「百年の迷妄」をいっきょに振り払った「偶像破壊」の「英雄」であるかに思い込んで自己陶酔に耽り、「倫理」論文を読んでいないか、読んでいても一知半解で「逆恨み」を抱いた――まさにその点で羽入と同位/等価なので、羽入もその心理には通じているにちがいない――「羽入予備軍」読者の拍手喝采を調達しているのである。
顧みると、羽入書刊行直後に発表された矢野善郎/橋本努の書評(『週間読書人』2002年11月29日/『朝日新聞』2002年12月15日)も、本コーナーへの牧野雅彦の寄稿も、専門家としての学問的批評を意図しながら、おそらくは同じ文化・風土に根ざす謙虚さが裏目に出て、遺憾ながら羽入書の「緻密さ」/強引さに引きずられ、「ヴェーバーが詐欺師であるかどうかはともかく」と留保しながらも、「細部には見るべきものがある」とする肯定的評価に傾いていた。本コーナーに寄せられた横田理博の評価も、「観念」と「例示」とを区別し、肝要なのは前者であるとして、後者は不問に付している。いずれにせよ、細部にたいする正面対決は不徹底で、回避されていたといわざるをえない。
そういうわけで、一連の羽入書評価には、かの(それ自体としては「人に優しい」日本文化の長所ともいえる)謙虚さが、「専門家」か「素人」かを問わず、細部におよぶ緻密な批判的思考/論証とむすびつかずに、ただそのまま、理非曲直を鮮明にすることを嫌う「人間関係主義Personalismus」の平衡感覚のなかではたらくばあい、羽入書に現れたような、「緻密な論証」を装う独断的で強引な言説には意外に脆く、いったん転ぶとどこまで引きずられていくか分からない、危うさが、潜んでいるのではなかろうか。
一方、筆者がなによりも残念に思い、研究歴50年/研究指導歴40年の一ヴェーバー研究者として自分の無力と責任を痛感せざるをえないのは、大方の「専門家」「ヴェーバー研究者」による羽入書無視であり、そのスタンスが、細部にわたる批判は用意し、いざというときには公表できる態勢は堅持したうえで、なにか理由があって公表は当面手控えているという学者としての原則に根ざす確たる対応とは、とうてい考えられないことであった。むしろ案外、羽入書の大仰で挑発的/攻撃的な口吻に内心たじろぎ、粗暴な物言いを感覚的に受けとめかね、「触らぬ神に祟りなし」「ものいえば唇寒し」と「だんまりを決め込み」、ただ「忙しい」「関心がない」「本人が寄贈してこないから、買わない、読まない、論じない(三無猿)」「自分にはもっと『巨大な』課題がある」等々と「逃げ口上」は怠らず、「人の噂も七十五日」と「嵐が過ぎるのを待ち」、「自然淘汰」に期待をかける、(かつて1968〜69年大学闘争で、圧倒的多数の「亀派」教官層において白日のもとにさらされた)「専門家知識人」の無責任体質が、さほどの状況でもないのに再度露呈され、この無責任が後続世代の「中堅」「若手」の研究者にも牢固として引き継がれている実情を、象徴的に垣間見させる事態ではあるまいか。「象徴的」というのも、ことは、およそ羽入書のような卑劣な攻撃には一番黙っていられず、躊躇なく論戦に立ち上がり、理非曲直を明らかにせずにはおさまらない、マックス・ヴェーバーという稀代の学者/論客にかかわり、ほかならぬかれの学説/思想、学風/人柄に一番親しんでいる「ヴェーバー研究者」の「見てみぬふり」であり、「当の『ヴェーバー研究者』においてしかりとすれば、ましてや他の『人格円満な』学者/学説に親しむ専門的研究者においてをや」との推論が、おおよそ妥当するにちがいないからである。
他方、羽入書刊行以降の大状況においては、いずれも構造的背景があると思われるが、@山折哲雄/養老孟司に代表される虚名の半専門家/非専門家(世上は「識者」)による学問的には無責任きわまる政治的絶賛、A「羽入予備軍」ともいうべき、「倫理」論文は一知半解の半専門家/非専門家(「逆恨み読者」)による歓呼/喝采/共鳴、B「学術書であろうが推理小説であろうが(公正取引委員会に問われかねない正体不明/類別不能の商品であっても)、自分さえ面白く読んで楽しめれば(たとえ批判的理性を麻痺させる阿片であっても)よいではないか、とやかくいうのは学者の思い上がりだ」と居直って自己満足に耽る非専門家(「オルテガ・イ・ガセのいう意味における『大衆人』読者」[2])のルサンチマンと敵意の表白など、現代大衆/「大衆人」社会の「(諸価値を下降方向で一様にならす)平準化Nivellierung」傾向が、「山本七平賞」という「政治賞Show」を頂点に、華々しい盛り上がりを見せた。
こうした傾向も、原則的/批判的な対応を怠っていると、この現代大衆/「大衆人」社会では、「自然に淘汰」されてしまうよりもむしろ、かえって勢いを増すばかりではあるまいか。他方、かりに羽入書ないしはその類の際物が、同じく対決回避によって増長し、双方が呼応/合流して、「亀派」「専門家知識人」層をますます逃避/沈黙に追い込んでいくとすれば、現代日本の大衆/「大衆人」社会における歴史/社会科学は、ヴェーバー研究のみならず、むしろ「流れに抗する」批判的理性そのものが、「専門」に徹する「謙虚な」(ただし「蛸壺に閉じこもっている」と言い換えられもする)当事者が目を背けているうちに、歩一歩と外堀を埋められ、「目を覚ましたときにはすでに遅い」という破局にいたりかねないのではないか。
筆者は過去50年間、数あるヴェーバー批判書に接してきたが、羽入書のように、およそ自分に固有の問題も内容も持たず、ただマックス・ヴェーバーが「知の巨人」といわれ、価値ありとされてきた、ただそれだけの理由で、当の巨人からなんの内容も学ぼうとはせず、ただ引き倒し、価値を破壊したかに見せて、一世の耳目を聳動し、「偶像破壊者」の栄光に浴そうという純粋ニヒリズムとも呼ぶべき「抽象的情熱」を、これほど無遠慮に誇示した代物には、出会ったためしがない。しかもそうした際物が、これまでは定評のあった学術出版社から、「人文・社会科学叢書」の一点として、大手をふって「言論の公共空間」に登場し、「政治賞」によって引き立てられ、喝采を浴びるというカーニヴァルが、いくたの予兆や先例は散見されたにせよ、よりによってヴェーバー研究の領域で、これほど鮮やかに実演され、見せつけられようとは、思ってもみなかった。学問をめぐる状況は、なにか不気味に、大きく変わっている。
そこで筆者は、羽入書のそうした「新味」「持ち味」、すなわち「外見は緻密/明快でも、内実は粗野/強引な独断の開陳で、ただ、『倫理』論文を読まない『識者』、『逆恨み読者』『大衆人読者』だけは唸らせる」という「価値自由」な「特性」を、上記の穏当な評価では回避されがちな細部にこそ鮮明に顕れている実態として、いまいちどルター論の詳細に立ち帰り、ただしこんどは一専門家としての社会的責任にもとづき、「『倫理』論文を知らない行司には、相手を思いのまま手玉にとっている『本物の相撲』に見えるが、じつは相手が不在(架空の創作)なので、どんな手でも使って見せられる『ひとり相撲』」として、できるかぎり平易明快に再説した。それと同時に、そうして把握される当の「特性」がなぜ「かくなって、別様ではないのか」、それがなぜ「かかる質と量の社会的反響を呼び起こすのか」と、問題を再設定し、この問いに答える因果帰属を求め、第二、第三、……の「羽入事件」ないしはその類例の再発防止策に経験科学的な基礎を提供すべく、理解/知識社会学的な外在考察に転じ、徐々にこちらに比重を移してきたのである。
ただし、その論稿を早まって発表すれば、いきおい論点の拡散をまねき、限定された争点をめぐる内在批判への徹底を損ないかねないとも危惧された(本コーナーに掲載されている「森川剛光の第一寄稿にたいする応答」参照)。そこで、「第二ラウンド」に羽入が登場し、論戦に火花を散らすなかで、面前の相手から検証材料を引き出し、(まえもって「社会学的想像力」をはたらかせて構成され、用意されている)一定の「明証性」はそなえた仮説につき、当の現場資料をもって検証し、「妥当性」も裏付けられる土俵に立って相手を迎え打つまでは、仮説の公表は見合わせようと考えていたのである。
いまひとつ、筆者は、この間一連の羽入書批判をとおして、「火中の栗を拾う」(拙著、48-9ぺージ)ことを、あくまで目標とはしてきた。炯眼な読者は、ときに厳しい論難に潜む肯定的な核心を見逃されはしなかったであろう。すなわち、かりに羽入が知的誠実性の規範にしたがうならば、かれの取り上げた四「問題」が、いかに考え直されなければならないか、ルター論/フランクリン論についてヴェーバーの知的誠実性を問うならば、本来なにが考えられるべきであったか、「倫理」論文の「全論証構造」はいかに解されるべきか、などの(「整合合理性Richtigkeitsrationalität」ないしは「整合型Richtigkeitstypus」の)問題を、羽入に代わって考え、羽入による反証と論争が可能なように、文献上の証拠と論理的な推論にもとづいて、つぶさに論証してきた。と同時に、かりにかれが「疑似問題」幻想への囚われから目を覚ましさえすれば、かれ自身が素材として取り上げ(ながら、「疑似問題」のコンテクストに短絡的に送り込むために、解釈を誤り、研究には活かせないでい)たいくつかの事実から、さしあたりは固有の意味におけるルター/ルター派研究、聖書翻訳史研究ないしはフランクリン研究の方向で、いかなる学問研究への展望が開けるか、も具体的に示唆した(とくに「横田理博の寄稿にたいする応答」参照)。よってもって、華々しい学界デビューを企てながら、学問的には躓いて、自分では自分の蹉跌に目を背けている羽入が、みずからヴェーバー断罪の規準とした「知的誠実性」規範にこんどは自分がしたがい、知的に誠実な一学究として立ち直り、「疑似問題」をめぐる不毛な「ひとり相撲」を清算したうえで、羽入書では裏目に出ていた才能をこんどこそ学問研究に振り向け、ばあいによってはヴェーバー研究者との「生産的限定論争」にも入れるように、研究者として前向きに再出発する道筋を、羽入書の論述に内在して具体的に示してきたのである[3]。
ところで、羽入自身の「精神の反抗力」に訴え、それを梃子に実存としての再起を促すこうしたアプローチ――いうなれば「ロゴテラピー」(V.E.フランクル)としての内在批判――に、知識社会学的外在考察は、どうかかわるであろうか。この考察方法は、やはりなんといっても、敵対者の言表/言説の「存在被拘束性」を「暴露」してその効力を殺ごうとする「イデオロギー批判」「イデオロギー論」を前身としている。したがって、どれほど「暴露」的態度が抑制され、「価値自由」に洗練されても、個人を適用対象とする――あるいは、類型(典型)的連関の一例示として取り上げる――かぎり、当の個人が、自分の帯びていた「存在被拘束性」をみずから相対化/対自化して克服する反省に資する(上に引用した羽入自身の「暴露」学問観がブーメランとしてかれ自身に戻れば、そう期待してもおかしくはないが)というよりもむしろ、直接的/心理的な反発を触発し、かえってかたくなに当の「存在被拘束性」に立て籠もらせ、「精神の反抗力」は眠り込ませる、「硬直化反応」とも呼ぶべき逆効果をまねきやすい。「当人によかれ」と前者を意図しても、「目的」から逸れた「随伴結果」「背反結果」として、後者に帰結するリスクは大きい。とすれば、内在批判の正面対決に予定され、そうすることをとおして「火中の栗を拾う」ことも期待されているこのコーナー「第二ラウンド」に、羽入個人が登場するのを待たずに、いち早く外在考察論稿を公表してリスクを犯すことは、やはりほかならぬ羽入本人のためにも、慎重に手控えるべきであろう。
以上ふたつが、これまでこの論稿を公表せず、手元に置いて羽入の登場を待っていた理由である。ところが、羽入はこのたび、かれのためにしつらえられたともいえるこのコーナーではなく、「マックス・ヴェーバーは国宝か――『知の巨人』の研究で糊口をしのぐ営業学者に物申す」と題する『Voice』誌5月号(198-207ぺージ)の対談に登場し、論争「第二ラウンド」への参入回避を表明した。羽入書刊行直後には、「反響はいかがですか」と問われて「肝心の社会学界はまったく無視です(笑)」(『エコノミスト』、2002年12月10日号、60ぺージ)と「不服」を唱えていた羽入が、昨2003年4月の拙評/同11月の拙著/今年1月の本コーナー開設と、「肝心の社会学界」内外から「待望の」反響が現れ、橋本努からは「第二ラウンド」の一方の当事者という願ってもない舞台をしつらえてもらえたのに、「死人に口なし」の「ひとり相撲」ではない生者相手の「本物の格闘」をまえに、逃げに転じてしまったのである。しかも、自分は大塚門下とはちがって「首輪と引き綱の付いた主人持ちの研究者」(羽入書、210ぺージ)ではないと胸を叩いて見せた羽入が、逃げ口上さえ自分ひとりではいい出せないのか、谷沢永一と名乗る、少なくともヴェーバー研究者としてはなんの実績も知られていない一人物[4]に「首輪と引き綱」を託し、論争回避を教唆/正当化してもらっている。本来ならばここに、谷沢ではなく、羽入書をミネルヴァ書房に推した歴史学者の越智武臣か、「山本七平賞」の選考委員で『ヒンドゥー教と仏教』(第三章)の一訳者でもあった山折哲雄か、あるいは他の選考委員が登場し、羽入とともに、あるいは羽入に代わって、羽入書にたいする筆者の批判に内容的に答え、併せて(選考委員であれば)先に出ていた一専門家の書評(『季刊経済学論集』69巻1号、2003年4月、に掲載の拙評)を無視して授賞を決めたのか、そうでないとすれば拙評にどう内容的に対応したのか、選考事情について釈明しなければならないところであったろう。
ところで、谷沢はなるほど、「山本七平賞」選考委員の山折哲雄/養老孟司/中西輝政/竹内靖雄/加藤寛/江口克彦ほどには無責任な賛辞(『Voice』2004年1月号、195-8ぺージ)は連ねず、羽入の「虫がいい」言い分を随所で「たしなめ」てはいる。しかし所詮は、「山本七平賞」選考委員の、「『倫理』論文を読まない、相手を見ない行司」の「身から出た錆」として、「ひとり相撲」を「本物の相撲」と見誤った判定ミスと権威失墜を、これ以上当の受賞者自身にあらわにされてはかなわないと「引き締め」にかかり、この思惑が、なんとか逃げを糊塗しようとする羽入側の願望と一致して、この対談が実現されたのでもあろう。他人をいわれなく「詐欺師」、「犯罪者」ときめつけ、相手が生者ならば「名誉毀損罪」に問われて当然の、齢五十にもなる羽入辰郎に、谷沢永一は一言「真剣勝負に応じてきなさい」と言い渡すことができない。この一点に、羽入−谷沢両人と、こうした対談を掲載する『Voice』誌の品位水準が、冗言を費やす余地なく集約されている。蛇足ながら、谷沢は代わって、羽入の遁辞に「相槌」を打ち、「助け船」を出すばかりでなく、歯の浮くような甘言を呈して羽入の自己幻想を補強し[5]、身勝手な処世術まで伝授して、「自分の虚像を追う人生」への搬送に拍車をかけている。そうまでして「山本七平賞」/「保守派論客」の「急場をしのごう」とするのである[6]。もとより谷沢には、「羽入に代わって論争を受けて立とう」と名乗り出る勇気も度量もない[7]。あれば筆者の批判に正面から対決すればよい。
しかし、当面の問題はあくまで、羽入本人である。ただ、羽入の発言内容については、雀部幸隆が、『Voice』誌1月号の「山本七平賞受賞の弁」への論駁「学者の良心と学問の作法について」(『図書新聞』2月21/28日号)につづいて、今回も、力のこもった鋭い批判「語るに落ちる羽入の応答――『Voice 5』誌上羽入−谷沢対談によせて」を『図書新聞』(6月5日号)紙上に公表しているので、筆者は、「屋上屋を架する」のは避け、ただつぎの二点を再確認するにとどめたい。
ひとつに、羽入の論争回避は、かれには「知的誠実性」のひとかけらもないことの証左である。羽入がヴェーバー断罪の規準とし、著書の副題にも謳った「知的誠実性」とは、相手を攻撃する戦略として表向き掲げられたにすぎず、自分も研究者として服する普遍的な準則ではないことが、これではっきりした。羽入は、自著の主張が論難相手のヴェーバーにはとどかない「ひとり相撲」で、「倫理」論文によっても、ルター/フランクリン関係の資料に照らしても、覆されている――少なくとも、当の主張を細部まで正面から受け止め、具体的に論駁している筆者の批判を、同様に正面から受け止め、具体的に反論することなしには、もはや維持できない局面にまで追い込まれている――にもかかわらず、この現実を直視せず、つまりは「自分にとって不都合な現実を直視する勇気」としての「知的廉直(誠実)」の要請に耐えられず、顔をそむけているのである。
第二点として、その結果羽入は、「批判を受け止めて自説を再検討し、反論するなり自説を改めるなり、ともかくも知的に誠実に対応して学問的に一歩でも前進する」という研究者として基本的な前向きのスタンスがとれない。自分に向けられた批判に対峙し応答するのではなく、すでに覆されている一年半前の主張に後ずさりし、陳腐な言い種を蒸し返すばかりである[8]。羽入は、羽入書の独文原稿をドイツで出版しようとしたが、10社に断られたそうである。ところがそれは、原稿の内容と質の問題ではなく、「ドイツ国民」の「国宝」をけなして「禁書」扱いされているからだと解し(この点にかけては谷沢も意気投合し)、こんどは英訳に期待をかけるという。羽入は、別のコンテクストで、ある大学卒業論文のテーマが「海外の研究は出ていない」との理由で指導教官に却下されたという挿話を引き、「こうした権威的な姿勢ではいけない」と説く。なるほど、日本の学界にはまだそういう権威主義がなにほどか尾を引いており、羽入書が日の目を見たにつけては、羽入が奥方の入れ知恵で二論文を欧州の二誌に載せていた(本質的には当該誌における査読の不備を証しするだけの)形式的事実が、ちょうどそれだけものをいったにちがいなかろう。そこで羽入は、「夢よもう一度」とばかり、そうした「姿勢ではいけない」という当の権威主義にとりすがって、自国における批判には耐えられない一書の英訳に望みをつなぎ、延命をはかろうとする。もとよりヴェーバー著作を「国宝」とはしていない英語圏(独語圏とて同様であるが)に、越智武臣のように羽入書を出版社に取り次ぐ不見識な歴史家がいるかどうか、いたとしてまともな出版社がどうあしらうか、万一英語圏で出版されたとして日本での復権がなるかどうか、一興をそそる見物ではある。
ちなみに、この一件にも明らかなとおり、羽入は、自己矛盾にも自説の「ブーメラン効果」にも無頓着/無防備である。対談のある箇所で、自著以外のヴェーバー研究文献を揶揄するつもりで、「ヴェーバーは洒落た台詞を文章にちりばめていて、彼の言葉を自分の論文に取り入れると、いかにも格好がいい」と表白している。ほう、では羽入書はどうか。「洒落た台詞」が跳ね返って幻想破壊力を発揮している事実に、御本尊は気づかず、気づこうとしないだけではないのか。
そういうわけで、羽入は、待望久しかりし論争「第二ラウンド」への登場をみずから回避した。上記のとおり、谷沢との対談における発言内容からみても、かれにはそもそも、知的誠実性も、論争をとおして学問的に前進しようとするスタンスも、そなわってはいないと見ざるをえない。内在批判を受けただけで、一年半前の自説に固執する「硬直化反応」に陥るのでは、羽入自身の「精神の反抗力」に期待をかけても埒があかない。「山本七平賞」によって敷設され、谷沢によって拍車をかけられた「自分の虚像を追いかける人生」を、当分は安らかに歩むほかなかろう。本人との直接対決は、無期延期とせざるをえない。今後羽入が、今回の応答回避を自己批判して反論/論争を申し入れてくれば、そのときには受けて立つ構えは堅持しながらも、このコーナー「第二ラウンド」に向けての論点集約は、これをもって「御開き」とし、このコーナーそのものの帰趨は、これまでの努力への感謝と今後への期待を込めて、橋本努に一任するとしよう。
羽入書そのものは、「ブーメラン効果」に無頓着なかれみずから「倫理」論文について語ったとおり、「犯跡」として永遠に残り、「反面教材」として、あるいは「教育(病理)学のデータ」として、必要のかぎりでそのつど顧慮されもしよう。このコーナーにおける内在批判と寄稿者間の問答は、羽入の回避で「第二ラウンド」は不発に終わったにせよ、今後いっそう活性化されるべき日本の学問論争の歴史に、ひとつの記録として残り、なにかにつけ論争が起き、盛り上がるつど、関係者に広く参照され、活かされていくと期待してもよかろう。とりわけ、インターネットを活用した、短期集中型論争(正確には、論争に向けての短期集中型論点集約)の嚆矢として、記憶されるかもしれない。
筆者としては、「火中の栗を拾う」ためになすべきことはした。その論証を、なんの根拠もなく「罵詈雑言」といってのける羽入辰郎個人は、ここで見限るよりほかはない。これからはむしろ、第二、第三……の「羽入事件」ないし本質を同じくする類例が発生しないように、発生しても素早く的確に対処できるように、その構造的背景に理解/知識社会学的外在考察をめぐらし、再発防止策も射程に入れて論じ、はからずも一年半におよんだ「羽入事件」への関与を締めくくる段取りに移りたい。いかんともなしがたい人物を慮って、外在考察の公表を手控える理由はもはやない。ここで外在考察に転じ、これまでは上記の二理由から手元に置いて公開しなかった一論稿を、今後の理解/知識社会学的な論議への一問題提起/一素材として、ここに初めて以下に公表する次第である。(2004年5月20日記、5月30日改訂、つづく)
[1] 理解に戸惑う言表/言説に直面して、「なぜこんなことをいうのか」と問い、言表/言説の「意味上の根拠」すなわち「動機」に遡及し、言表/言説者の「社会的存在位置」を考慮に入れ、当の言表/言説(「知/認識/知識」)が「なぜ、かくなって、別様ではないのか」を、その「存在被拘束性Seinsgebundenheit」に即して捉え返し、理解し、説明しようとする考察方法。G.ジンメルによる「ある表現の意味Sinnを客観的に『理解することVerstehen』」と「表現している人間の動機Motiveを主観的に(その主観的な意味連関に即して)『解明することDeutung』」との区別を、M.ヴェーバーが批判的に継受し、さらにK.マンハイムが、(ナチに追われ、オランダを経由してイギリスに亡命する)以前のハイデルベルク時代に定式化し、政治・社会的激動(第二次世界大戦)のさなか、身をもって「時代診断学」に適用した、前世紀「実存的」歴史・社会科学の記念碑的所産。言表/言説内容を「観念内在的に」(「素朴に」「額面どおりに」)受け取って解釈する「内在考察Innenbetrachtung」と対比される。以下、「理解/知識社会学的」「外在考察」と略記。
[2] もとより一口に「読者」といっても、このAとBのカテゴリーばかりでないことはいうまでもない。「倫理」論文ほかヴェーバーの学問的労作を「事実と理に即して」精読された公衆の正当な評価は、このコーナーへの丸山尚士、高橋隆夫、両氏の寄稿ほか、多くの機会に表明されている。
[3] 羽入書が出たあと、奥付の略歴から知ったが、羽入が東京大学教養学部に在学していた期間、筆者は同学部に所属する現職の一教員であった。羽入本人は、なぜか筆者の研究室の扉を叩かなかったが、それはもとよりかれの自由で、咎め立てするつもりはない。ただ、かりにかれが、羽入書に連なる研究プランを携えて筆者の研究室を訪れたとしたら、筆者は、この間の論駁と同趣旨の批判をもって対応したにちがいないし、かりに論文審査の席に連なっていたとしたら、学部卒業論文としても認めなかったろう。ヴェーバー批判だからではなく、「批判」が学問の体をなしていないからである。
[4] なぜここで、谷沢なる人物が出できたのか、「山本七平賞」に羽入書を推薦して責任を執らされているのか、筆者には分からないし、分かろうとも思わない。
[5] たとえば「羽入さんが使命感をもって仕事をされれば、有象無象は全部消えて、あなたの本だけが残ることになります」と語る。谷沢がほんとうにそう思っているのなら節穴、心にもない甘言ならば醜悪というほかはない。
[6] 谷沢は、羽入の言い分を「適当に聞きおき」ながら、聞きかじりの傑作一般をとりとめなく持ち出しては、羽入を十八番の「彼我混濁」に誘い、褒められたつもりにさせる。そのうえ、羽入が「自分の仕事」(その中身が問題なのだが)に「使命感をもって」打ち込むには、「首にはならないから教授会はさぼれ、自分は事務長を脅して授業の持ち駒も同僚の半数に削減させた、ただ無能な同僚の神経は逆撫でするな」(要旨)と、独善的処世術の伝授も忘れない。「奥さんを上手に利用」するのも「自分を売り込む計算」と語り、世評を気にすると「鬱症状」になるから「自分の意見に共感や賛同を求めるな」と「たしなめる」文脈では、とうとう「あなたの場合、研究を理解してくれる賢夫人がいらっしゃるのだから、それで十分ではないですか(笑)」と(痛烈な皮肉と響くほかない言葉を)口にしている。
[7] しかしここで、批判の公正を期し、(日本の文化・風土のもとでは、責任追及が「ことを荒立てる」「深追い」と感得されて、感情的/情緒的な反感をまねく、危険な一線を越えることになるとしても)羽入の出身母胎の責任も問わないわけにはいかない。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専門課程における羽入の指導教官/(優れたヴェーバー研究者として筆者もかねがね尊敬しているが)羽入論文審査の席に連なっていたと見るほかはない(元)教室主任教授/当時院生の近くにいて研究指導の一端を担っていたと思われる、やはりヴェーバー研究者の(元)研究室助手/日本倫理学会の「和辻哲郎賞」選考委員として羽入論文への授賞にかかわった日本倫理学会会員らは、この問題をどう受け止め、どう考えているのであろうか。筆者はこれまで、羽入にかかわる「虚像形成過程」の契機として、こうした人々の研究指導責任/論文査読責任を指摘し(「学問論争をめぐる現状況」§11、「横田理博の寄稿にたいする応答」参照)、該当者たちが自発的に名乗り出て、事実経過を明らかにし、責任があればみずから率直に認めることを求め、名指しはせずに待っていた。かれらの応答と釈明の結果、かりに筆者の事実認識と帰責論に誤りや無理があれば、筆者としても自己批判して責任を執る用意がある。本コーナーへの応答要請は、橋本努からかれらにも(少なくともヴェーバー研究者としての元主任教授と元助手には)届いているはずである。さなくともかれらとしては、このコーナーに注目していてしかるべきであろう。というのも、自分たちが指導/審査して学位(ないし学会賞)を授与した当の論文、正確には、独文で書かれた原論文を「改訂・増補し」(羽入書、Eぺージ)て出版したという羽入書にたいして、これが学位論文には値しない(もとよりヴェーバー批判は結構であるが、その「批判」が学問の体をなさない)と論証する一ヴェーバー研究者が現れ、羽入自身が持ち出した「ヴェーバーは詐欺師か」という争点は引き受けて、羽入の登場を待ち、論争の「第二ラウンド」に向けて論議を交わしているのが、このコーナーにほかならず、実質的にはかれらの論文審査を追審査するフォーラムをなしているからである。ところがかれらは、なぜか黙して語ろうとしない。
だが、考えてもみよう。世間の常識では、欠陥のある商品に商標/称号(博士号)をつけて販売した「営業Betrieb」責任者/品質管理主任/検査係らは、欠陥が発覚すればただちに責任を問われるし、問われて当然である。羽入博士のばあい、『思想』誌の編集者やミネルヴァ書房の編集者/出版社主が、羽入原稿を評価して掲載ないし刊行に踏み切ったとき、また、青森県立保健大学が羽入を評価して正式に教員に採用したとき、仲介者の紹介/欧州二誌の論文掲載/「和辻哲郎賞」受賞などもカウントには入れられたにせよ、決定にあたってもっとも重視されたのは、やはり常識的に考えて、羽入が博士号を取得していたという事実であったろう。学位にたいする社会的信用は大きい。ところが、当の学位取得のさいの論文審査が、学問的批判の体をなさない欠陥論文をそのまま合格させてしまったのではないか、したがって当該研究科の学位が社会的信用に値するかどうか、がまさに問題として問われているのである。
もっとも、「羽入事件」のばあい、学位論文の原論文と「改訂・増補し」た羽入書との間にはズレがあろう。原論文のほうは学位取得に値する出来ばえを示していたが、「改訂・増補」のさいに水準の低下をきたし、学位に値しない羽入書が世に出てしまったということも、形式上はありえないことではない。ヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」と決めつけるような耳目聳動的な言表は、原論文にはなく、そのため査読者が「純アカデミックなヴェーバー批判」として読んだということは、ありうることである。では、羽入書から耳目聳動的な評言/誹謗中傷/自画自賛の夾雑物をすべて取り除いてみよう。そうすれば、「純アカデミックなヴェーバー批判」が残るであろうか。いな。論者独自の問題設定も論理構成もなく、無系統に重箱の四隅をせせくり、無謀にも素材外形への些事拘泥を針小棒大な議論によって過大な要求につなげようと目論んだ失敗作が、残骸として再発見されるだけであろう。かりに査読委員が、それでもなお「原論文はよく書けていたが、『改訂・増補』のさいに厚化粧を施され、耳目聳動を狙う際物となって世に出てしまった、その意味で『自分たちは裏切られた』『自分たちこそ被害者だ』」と主張したいのであれば(ありえないことではないと思うが)、そのときこそ原論文を公開したうえ、原論文および羽入書双方にたいする評価内容を公表し、公開の論議に委ねるべきであろう。羽入に博士の学位を与えた審査責任者には、羽入書、したがって学位請求論文の帯びている問題性がきわめて深刻で、「言論の公共空間」で広く議論され、学問の体をなさない欠陥が論証されながら、当の「博士」は学問的に反論できないでいる以上、事後、遅れてでもその議論に参入し、「博士」に代わり、学問的確信にもとづく反論を展開して、当の学位請求論文は合格水準をクリアしていたと論証/主張し、研究者としてのおのれ自身と、みずから責任をもって運営する公的機関(東京大学大学院人文社会系研究科)との社会的信用を回復する、社会的責任があるはずである。当事者が、そうした公的責任を自覚して発言するのであれば、筆者もよろこんで、その公開論争「第三ラウンド」に参入するであろう。かりに北海道大学経済学部に所属する橋本努のホーム・ページにおけるこのコーナーでは「筋違い」ないしは「不服」というのであれば、みずから東京大学大学院人文社会系研究科のホーム・ページに「羽入書問題、公開論争コーナー」を開設してもよかろうし、それなら「筋が通る」であろう。
さらに、つぎのような事情も考えられはする。近年大学院に「社会人枠」が設けられたりして、院生数が増えると同時に、院生の年齢構成が多様化してきている。それにともなって、研究指導上、たとえば、同年齢層の小集団であれば自然発生的に維持される、院生同士の緊密な(ときに激烈であってもよい)コミュニケーション/討議/相互批判の密度を、年齢格差にともなう「遠慮」その他の制約から解き放って、どのようにして確保していけばいいのか、といった数々の問題が発生している。そうした問題のひとつとして、指導教官なり主任教授なりが、比較的高年齢の院生(羽入のばあい、「社会人枠」による入学ではなかったようであるが)に、「本人は歳をとっていて妻子もいるから、なんとしても就職させてやりたい」あるいは「何年留年させて論文を書き直させても、改善の見込みはないから、早くなんとかしたい」という「温情に動かされる」ことも(あるいはその反動も)、原則的には非と分かってはいても、生身の人間間のこととして、起きないともかぎらないであろう。羽入書には、論文執筆にあたって好意的な処遇を受けたらしい先輩/研究指導者にたいする、主観的な思い込みの激しい、しばしば過剰で相手には迷惑と(第三者ながら)気遣われもする謝辞がふんだんに散りばめられているが、そのなかにあって(優れたヴェーバー研究者であって実質的/内容的にもっとも多く教えを乞い、学ぶことのできたはずの)教室主任教授への言及がまったくないこと、(なぜかヴェーバー研究者ではない)制度上正規の指導教官への謝辞もきわめて淡白であること、この二事実が、他の大仰な謝辞とは鮮やかな対照をなし、それだけに注目を引く。こうした事実は、主任教授/指導教官と羽入との間に、なんらかの緊張ないしは暗闘の関係が存立していた、少なくとも他の謝辞対象者との関係ほどには円滑にいっていなかった、という客観的可能性を示唆する。主任教授/指導教官らが、この難物を相手に、そうとう苦労し、辛酸をなめたであろうことは、推察に難くない。しかし、大学院における教官−院生間にどんな摩擦や軋轢があろうとも、「人間関係」に引きずられて学位論文審査の学問的な厳正さをゆるめることは許されない。その間にあって、本人の適性と力量に合った適職への転身という選択/勧告の余地は、いつでも開かれていたはずである。経緯がどうあれ、じっさいになされた選択は、少なくとも結果として、学問という営業種の許容範囲から逸脱すること甚だしく、営業にとってはもとより、本人にとっても、「自分の虚像を追いかける」「アクロバティックな人生」に追い込むようなもので、よかろうはずはなかった。遺憾ながら、学者/教育者の勧めるべき選択、論文審査にあたって執るべき態度/決定であったとは、筆者には思えない。ただ、この点にかけては、おそらく当事者としての異見があろう。ぜひ、責任者として名乗り出て、実情を明らかにし、異見も開陳していただきたい。そうすれば、大学院教育の現にある実態を切開し、深刻な問題を正視し、そこから改善策を模索していく今後の議論に、貴重な資料が提供されることにもなろう。ことは、これまでよもや「羽入事件」のようなことが起きようとは一番予想だにされなかった、文献読解にかけては最高水準にあるとの定評をえてきた名門研究室に、なぜか事実起きてしまった重大な審査ミス(と考えざるをえない深刻な問題)なのであり、それだけに今後に活かされるべき貴重な教訓を含んでいるにちがいないのである。
いずれにせよ、口をぬぐって責任逃れをつづけていては、事実確認にもとづく適切な事後処置が妨げられ、遅れるばかりでなく、商標/称号そのものが、「羽入標」「羽入号」と同一または同類の審査当事者による反省なき類例として、当−必然的に減価し、営業は不振に陥り、いずれは倒産の憂き目を見るであろう。当の営業からすでに世に送り出されてしまった倫理学関係者は、「自分の知ったことか」「あとは野となれ山となれ」と「見てみぬふり」をして「安泰」でいられるかもしれない。しかしそれでは、現に最大の「顧客」被害を受けているにちがいない青森県立保健大学の学生は、どうなるのか。かれらがみずから告発に立ち上がるのを待つのか。こういう問題に、かれら倫理学関係者は、自分の学生時代にはどうかかわったのか。1968〜69年大学闘争を闘って、なにを学んだのか。青森の学生が立ち上がらなければ、東京の現業責任者/関係者は、「亀派」教官になりすまし、専門家に固有の責任/社会的責任には「頬かむり」していていいのか。それでも、他ならぬ「いかに生きるべきか」の倫理学は教えつづけられるのか。そういう倫理学でいいのか。せめて、日本倫理学会の会員であれば、学会賞「和辻賞」が羽入に授与された経緯、とくに選考委員の実名と論文審査の内容を、会員の権利また義務として究明し、公表することができるのではないか。
倫理学周辺の同僚も、旧来の「大学自治」の慣行に埋没して、こういう明白な無責任を相変わらず「かばい」「隠蔽する」のであろうか。現在の東京大学大学院人文社会系研究科科長で、(筆者もこれまでフェアにつきあってきた)文学部倫理学科出身の元ヴェーバー研究者からは、筆者がこの問題にかかわる論稿をそのつど挨拶を添えてメールまたは郵便で送っても(文学部長兼任の科長職の多忙を斟酌しても解せないほど、一年以上の長きにわたって)「受け取った」との返事ひとつないが、いったいどう考えているのか。挨拶はともかく、学者としての見解はどうなのか。
ことほどさように「大学の自治」が、民間企業の営業、あるいは「政治寄生的」さらには「純粋政治家/政治屋的」「営業」の倫理水準以下に落ち、「集団的既得(無責任)権」維持のイデオロギーと化して、内部改革力はおろか自浄能力さえ欠いているから、たえず「外部の第三者機関」構想を呼び出しては「同位対立」の関係に陥らざるをえないのであろう。
[8] たとえば、「ヴェーバーの恣意的な資料操作を論ずるため」、『コリントT』7: 20や『箴言』のマイクロフィルムを取り寄せるのに苦労し金がかかったとの挿話をまたもや披露し、地道な資料集めが大切であると説くが、そのさい、当の折角の資料が「ヴェーバーの恣意的な資料操作」の証拠にはならず、かえって「ヴェーバーを杜撰者ないし詐欺師に仕立てようとする恣意的解釈=意味変換操作」を裏付けている、という批判は、都合よく忘れている。そればかりか、そういって「素材探し」に逃げ込もうとする羽入に、谷沢も、「資料が絶無でも『ありそでなさそで』というあわいを縫って苦心するのが、学問の楽しみです」、「逆にマックス・ヴェーバーがこれ見よがしに操作している資料を視野から外しても、ヴェーバーの『面白さ』は残る」、「ヴェーバーが何をいいたいかの判定は、資料がなくてもいえることです」と説き、一言余計ながら「ヴェーバー研究で糊口をしのいでいる『営業学者』のいうことは黙殺して、『マックス・ヴェーバーのいいたいこと』を追求されるべきでしょう」と「たしなめ」ているのに、羽入は、谷沢の「いいたいこと」には「うーん、そうですね(笑)」と唸るばかりで、まともに耳を貸さず、「待ってました」とばかり冗句のほうにとびつき、「折原とはそうした『営業学者』の『典型』です、『ヒステリックにな』って『罵詈雑言』を加えてきます、『批判に答えよ』と挑発しています」とご注進におよぶ。谷沢もここで、「御託を並べていないで、批判に答え、折原とやらの『言い掛かり』は『罵詈雑言』にすぎないと立証してきなさい」と突き放せばいいのに、それでは対談の意味がなくなると思いなおしてか、わざとピントを外し、「毀誉褒貶を気にせず、つぎの論文で答えればいい、いちいち応酬する必要はない」(要旨)と「助け船」を出し、「お墨つき」を与える。とたんに羽入は、「応酬をすると、時間を取られて前に進めなくなるんですよ」と気を取り直し、「ほかにすべきこと」(おそらくかれにとっては「前に進」むこと)として、なんと『マックス・ヴェーバーの犯罪』の英訳を出したいという。羽入書は「マックス・ヴェーバーの本場であるドイツではすでに知られていて『禁書』扱いになっている」(誰もそんなことを聞いてはいないが)ため、羽入による10社への出版打診には「いずれも丁重なお断りの言葉が返ってき」たが、「英訳すれば何とかなりませんか」と「頼みの綱」にお伺いを立てる(谷沢永一に、著作の英訳/外国語訳があって、英語圏の出版社にも「顔がきく」のかどうか、筆者は寡聞にして知らない。ただ、越智武臣がミネルヴァ書房に羽入書を取り次いで後者が受諾した、双方の不見識「特産」の事件が、英語圏のまともな学者や出版社にも起きようとは考えられない)。これに谷沢は、「ヴェーバーやヘーゲル、マルクスなど、体系とか方法論とか世界観といわれる学問はドイツ特産で……パリやロンドンやヴィーンには、そのように田舎じみたことをいう学者はいません」と、いやはやどうかと思う冗句をもって答え、「急にパリからあるいはロンドンから訳したいという連絡が来るかもしれないが、それは他人の仕事に任せて、それが進行するあいだ、あなたはご自分の学問を別に進めればいい」とかわし、なにはともあれ「ご自分の学問」に送り込もうと苦心惨憺している。すべてこの調子で、「プロクルーステース英雄譚」の余録「クーリングオフ苦労篇」と読むほかはない。